ぴんちゃん様専用
2022, 02. 25 (Fri) 00:00
狩猟関係の本を探していて見つけたのが久保俊治『羆撃ち』。
専業のヒグマ猟師だった著者は、単行本が発売された2009年時点で66歳。その15年前から大学ノートに若い頃の思い出を書き溜めてきたという。最初に読んだ時は歯切れよく若々しさを感じた文体なので、もっと若い人が書いているのだと思ったけど、著者が1947年生まれなのに驚いた。
久保俊治(羆撃ち)がプロフェッショナルに!経歴とヒグマ猟師になった理由は?[440’s Exchange Hack]
文体は簡潔明瞭。狩猟の様子の描写は文章が短く、現在形を多用しているので、緊迫感と臨場感に満ちて、まるでその現場を読み手が目撃しているような感覚。
年齢的には、興味を持ち始めた子供の頃に始まって、大学入学後に一人で始めた狩猟専業の生活から、子犬から育てた猟犬フチとの狩猟生活、その後米国留学して狩猟技術を学んでガイドハンターとして活動、帰国後のフチに加えて新たにもらい受けたメス犬フクとの狩猟生活、最後はフチが次にフクが相次いで病気で亡くなり、また一人で狩猟するようになったこと。
フチが亡くなってから、フクの事が全然書かれておらず、狩猟に一人で行っていたという。もともとフクを譲り受ける時から、フチほどの信頼感をフクには持てないと感じているのが文章からわかるし、フクがフチを襲ってケガをさせたことが原因でフチが病気になったのかもしれないという心のわだかまりが拭いきれなかったように思える。
一人で狩猟していた時代は狩猟風景にも殺伐とした凄みを感じた、
生まれて間もないアイヌ犬の子犬フチを譲り受けて猟犬として育てていく時期になると、フチと猟師の関係の描写が増えて、彼らの間に流れる信頼感や愛情の温かさが感じられて殺伐感が消え、文章にも内容にも膨らみが出てきた。
狩猟に関する著者の信条に関して、印象に残っている文章について。
「自然の中で生きた者は、すべて死をもって、生きていたときの価値と意味を発揮できるのではないだろうか。キツネ、テン、ネズミに食われ、鳥についばまれ、毛までも寝穴や巣の材料にされる。ハエがたかり、ウジが湧き、他の蒸にも食われ尽くし、腐って融けて土に返る。木に養分として吸われ、林となり森となる。森はまた、他の生き物を育てていく。誰も見ていないところで死ぬことで、生きていた価値と意味を発揮していく。」
では、この羆のように、自然のサイクルを外れて、獲物となって倒れたものの生きてきた価値と意味はどうなるのか。だから私は斃し方に心がけ、、解体に気を配る。肉となって誰に食べられても、これは旨いと言ってもらえ、自分で食べても最高の肉だと常に思える獲り方を心がけ実行しなければならない。斃された獲物が、生きてきた価値と意味を充分以上に発揮するように、すべてを自分の内に取り入れてやる。私の生きる糧とするのだ。」
山での姿も、撃たれて斃れていった姿の細部までも目の奥に焼き付け、決して忘れないで覚えていこう。それが猟で生活しようと決心した者の、獲物の命に対する責任の取り方だろう。」
羆の母と仔2頭を銃で倒した時のこと。
「嗅覚も聴覚も体力も、到底お前たちには及ばない。その及ばないことを補うために、銃を使わせてもらうが、自然の中でも対等の同じ命であると思っている。俺が負けたときは、誰も山で見つけ出してくれないだろう。そのときは、自然の一部となり土に還る。その覚悟はできているつもりだ。」
牧場経営を始めてから、忙しくてシカ猟に行けなくなった頃、罠でキツネを獲ろうと罠猟を始めた。シカ猟に入った山中のキツネは、警戒心が強く、罠にかけるのも至難の業だった。しかし、酪農地帯のキツネは、人家の周りで簡単にエサ(死んだ仔牛や流産で出る胎盤など)が手に入り、警戒心を失っているため、毎晩必ず罠にかかっている。
「猟以外でどうにか暮らせるようになったのためなのだろうか。寒いテントに比べ、はるかに温かい家の中にいて、罠を一晩中働かせることに何か後ろめたさのようなものを感じる。そして野生を失った動物を見るのは淋しく感じる。
罠でとることは、すぐにやめてしまった。」
<米国の狩猟事情>
プロハンターの本場アメリカで武者修行するため、1975年4月に渡米しモンタナ州にあるプロハンター養成学校「アウトフィッターズ・アンド・ガイズ・スクール」に初の日本人学生として入学。卒業後はハンティングガイドの仕事に就く。
スクールの授業や実地訓練の様子、校長や学生仲間との交流、ハンティングガイドの仕事と米国の狩猟事情などが書かれていた。(全然知らない世界の話だったので勉強になった。)
米国では、狩猟するのは権利の一つ。著者のように狩猟で生活している人を「マウンテンマン」と尊称で呼ぶが、1960年代までは存在していたらしい。著者自身は現地で「マウンテンマン」会ったことはなかった。
クロスボウなどの弓矢を使う人が結構多いが、銃ではなくて「弓矢」で仕留めるということに価値を見出している。
弓矢でピューマを仕留めるシーンが描写されているが、木に登っているところを弓矢で串刺しにされて磔みたいになり、力尽くて矢からずり落ちて死んだ様子の描写を読むと、銃で死ぬよりも無残な姿のようにも思えた。
※調べたところ、日本では弓矢を使った狩猟は禁止されている。弓矢は銃よりも殺傷力が弱く、射程距離も短いことから、人間にとって危険性が増し、さらに手負いの動物が増えるだけなので、確実に仕留められる可能性の高い銃の方が動物にとっても人間にとってもマシとということらしい。
ハンターが獲物を仕留めやすいように導くのがガイドの仕事。仕留めた動物の解体は、ハンターではなくガイドの仕事。トロフィーとなる頭部は剥製屋に渡し、肉は精肉業者に渡して冷凍されて、ハンターが受け取る。極端なハンターは、自分では何もせずに、ガイドにお任せで獲物をとってもくるよう指示する人もいる。ハンターはトロフィーが目的で、肉は食べない人も多い。
(肉を食べ皮を利用するのが目的で狩猟している狩猟民族とは違い、トロフィーを得ることが目的のスポーツハンターの狩猟はレジャーみたいなものなんだろう。)
狩猟に関しては、いろいろ規制がある。猟期は9月中旬~12月中旬。獲られた獲物がある頭数に達すると、その猟区は終猟日前でも禁猟となる。猟区により、あらかじめ獲ってもいい頭数を割り出す。一頭につきハンター一人。頭数分のタッグが発行され、タッグの発行数と同じ人数しか猟区に入れない。ハンターが申請後タッグが付与されるが、そのタッグをつけないと、獲った獲物の肉の処理ができない。
狩猟中のトランシーバー使用は禁止、獲物によっては猟犬の禁止。仲間と連絡を獲物を追うことができないように、安易な捕獲から動物を守るためと、狩猟とは本来不便を楽しむものであるとの考え方から来ているらしい。国有林の中ではエンジン付きのものは使用禁止。(薪をつくるためのチェーンソーも使用禁止)
日本では、銃砲刀剣類や火薬の取り締まりに関する法律は厳しいが、トランシーバー、スノーモービルの使用はゆるやかだという。
日本の狩猟事例を探すと、著者のように一人で狩猟する人もいる一方で、複数のハンターがグループを組んで、トランシーバーでやり取りしながら、獲物を追い詰めている場合もある。
著者が日本で狩猟する時は、グループ狩猟は性に合わないから、狩猟中にトランシーバーや携帯電話を使う必要がない。(害獣駆除として羆退治を依頼された時はグループで狩猟するときもある。)
『プロフェッショナル 仕事の流儀』で2017年4月17日NHK総合で放映された久保さんのドキュメンタリー。当時70歳くらいだから、本を読んで想像していたよりもずっとお年で、またびっくり。でも、少し見ただけでも、この人は凄い!を思わせるようなストイックな威厳とオーラが放たれているし、映像をずっと見ているとなおさらそう思う。
ヒグマ猟師 久保俊治
専業のヒグマ猟師だった著者は、単行本が発売された2009年時点で66歳。その15年前から大学ノートに若い頃の思い出を書き溜めてきたという。最初に読んだ時は歯切れよく若々しさを感じた文体なので、もっと若い人が書いているのだと思ったけど、著者が1947年生まれなのに驚いた。
![]() | 羆撃ち (小学館文庫) (2012/2/3) 久保 俊治 (著) |

文体は簡潔明瞭。狩猟の様子の描写は文章が短く、現在形を多用しているので、緊迫感と臨場感に満ちて、まるでその現場を読み手が目撃しているような感覚。
年齢的には、興味を持ち始めた子供の頃に始まって、大学入学後に一人で始めた狩猟専業の生活から、子犬から育てた猟犬フチとの狩猟生活、その後米国留学して狩猟技術を学んでガイドハンターとして活動、帰国後のフチに加えて新たにもらい受けたメス犬フクとの狩猟生活、最後はフチが次にフクが相次いで病気で亡くなり、また一人で狩猟するようになったこと。
フチが亡くなってから、フクの事が全然書かれておらず、狩猟に一人で行っていたという。もともとフクを譲り受ける時から、フチほどの信頼感をフクには持てないと感じているのが文章からわかるし、フクがフチを襲ってケガをさせたことが原因でフチが病気になったのかもしれないという心のわだかまりが拭いきれなかったように思える。
一人で狩猟していた時代は狩猟風景にも殺伐とした凄みを感じた、
生まれて間もないアイヌ犬の子犬フチを譲り受けて猟犬として育てていく時期になると、フチと猟師の関係の描写が増えて、彼らの間に流れる信頼感や愛情の温かさが感じられて殺伐感が消え、文章にも内容にも膨らみが出てきた。
狩猟に関する著者の信条に関して、印象に残っている文章について。
「自然の中で生きた者は、すべて死をもって、生きていたときの価値と意味を発揮できるのではないだろうか。キツネ、テン、ネズミに食われ、鳥についばまれ、毛までも寝穴や巣の材料にされる。ハエがたかり、ウジが湧き、他の蒸にも食われ尽くし、腐って融けて土に返る。木に養分として吸われ、林となり森となる。森はまた、他の生き物を育てていく。誰も見ていないところで死ぬことで、生きていた価値と意味を発揮していく。」
では、この羆のように、自然のサイクルを外れて、獲物となって倒れたものの生きてきた価値と意味はどうなるのか。だから私は斃し方に心がけ、、解体に気を配る。肉となって誰に食べられても、これは旨いと言ってもらえ、自分で食べても最高の肉だと常に思える獲り方を心がけ実行しなければならない。斃された獲物が、生きてきた価値と意味を充分以上に発揮するように、すべてを自分の内に取り入れてやる。私の生きる糧とするのだ。」
山での姿も、撃たれて斃れていった姿の細部までも目の奥に焼き付け、決して忘れないで覚えていこう。それが猟で生活しようと決心した者の、獲物の命に対する責任の取り方だろう。」
羆の母と仔2頭を銃で倒した時のこと。
「嗅覚も聴覚も体力も、到底お前たちには及ばない。その及ばないことを補うために、銃を使わせてもらうが、自然の中でも対等の同じ命であると思っている。俺が負けたときは、誰も山で見つけ出してくれないだろう。そのときは、自然の一部となり土に還る。その覚悟はできているつもりだ。」
牧場経営を始めてから、忙しくてシカ猟に行けなくなった頃、罠でキツネを獲ろうと罠猟を始めた。シカ猟に入った山中のキツネは、警戒心が強く、罠にかけるのも至難の業だった。しかし、酪農地帯のキツネは、人家の周りで簡単にエサ(死んだ仔牛や流産で出る胎盤など)が手に入り、警戒心を失っているため、毎晩必ず罠にかかっている。
「猟以外でどうにか暮らせるようになったのためなのだろうか。寒いテントに比べ、はるかに温かい家の中にいて、罠を一晩中働かせることに何か後ろめたさのようなものを感じる。そして野生を失った動物を見るのは淋しく感じる。
罠でとることは、すぐにやめてしまった。」
<米国の狩猟事情>
プロハンターの本場アメリカで武者修行するため、1975年4月に渡米しモンタナ州にあるプロハンター養成学校「アウトフィッターズ・アンド・ガイズ・スクール」に初の日本人学生として入学。卒業後はハンティングガイドの仕事に就く。
スクールの授業や実地訓練の様子、校長や学生仲間との交流、ハンティングガイドの仕事と米国の狩猟事情などが書かれていた。(全然知らない世界の話だったので勉強になった。)
米国では、狩猟するのは権利の一つ。著者のように狩猟で生活している人を「マウンテンマン」と尊称で呼ぶが、1960年代までは存在していたらしい。著者自身は現地で「マウンテンマン」会ったことはなかった。
クロスボウなどの弓矢を使う人が結構多いが、銃ではなくて「弓矢」で仕留めるということに価値を見出している。
弓矢でピューマを仕留めるシーンが描写されているが、木に登っているところを弓矢で串刺しにされて磔みたいになり、力尽くて矢からずり落ちて死んだ様子の描写を読むと、銃で死ぬよりも無残な姿のようにも思えた。
※調べたところ、日本では弓矢を使った狩猟は禁止されている。弓矢は銃よりも殺傷力が弱く、射程距離も短いことから、人間にとって危険性が増し、さらに手負いの動物が増えるだけなので、確実に仕留められる可能性の高い銃の方が動物にとっても人間にとってもマシとということらしい。
ハンターが獲物を仕留めやすいように導くのがガイドの仕事。仕留めた動物の解体は、ハンターではなくガイドの仕事。トロフィーとなる頭部は剥製屋に渡し、肉は精肉業者に渡して冷凍されて、ハンターが受け取る。極端なハンターは、自分では何もせずに、ガイドにお任せで獲物をとってもくるよう指示する人もいる。ハンターはトロフィーが目的で、肉は食べない人も多い。
(肉を食べ皮を利用するのが目的で狩猟している狩猟民族とは違い、トロフィーを得ることが目的のスポーツハンターの狩猟はレジャーみたいなものなんだろう。)
狩猟に関しては、いろいろ規制がある。猟期は9月中旬~12月中旬。獲られた獲物がある頭数に達すると、その猟区は終猟日前でも禁猟となる。猟区により、あらかじめ獲ってもいい頭数を割り出す。一頭につきハンター一人。頭数分のタッグが発行され、タッグの発行数と同じ人数しか猟区に入れない。ハンターが申請後タッグが付与されるが、そのタッグをつけないと、獲った獲物の肉の処理ができない。
狩猟中のトランシーバー使用は禁止、獲物によっては猟犬の禁止。仲間と連絡を獲物を追うことができないように、安易な捕獲から動物を守るためと、狩猟とは本来不便を楽しむものであるとの考え方から来ているらしい。国有林の中ではエンジン付きのものは使用禁止。(薪をつくるためのチェーンソーも使用禁止)
日本では、銃砲刀剣類や火薬の取り締まりに関する法律は厳しいが、トランシーバー、スノーモービルの使用はゆるやかだという。
日本の狩猟事例を探すと、著者のように一人で狩猟する人もいる一方で、複数のハンターがグループを組んで、トランシーバーでやり取りしながら、獲物を追い詰めている場合もある。
著者が日本で狩猟する時は、グループ狩猟は性に合わないから、狩猟中にトランシーバーや携帯電話を使う必要がない。(害獣駆除として羆退治を依頼された時はグループで狩猟するときもある。)
『プロフェッショナル 仕事の流儀』で2017年4月17日NHK総合で放映された久保さんのドキュメンタリー。当時70歳くらいだから、本を読んで想像していたよりもずっとお年で、またびっくり。でも、少し見ただけでも、この人は凄い!を思わせるようなストイックな威厳とオーラが放たれているし、映像をずっと見ているとなおさらそう思う。
![]() | プロフェッショナル 仕事の流儀 猟師・久保俊治の仕事 独り、山の王者に挑む [DVD] (2017/10/27) 久保俊治 (出演) |
ヒグマ猟師 久保俊治